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水滸のことば



辞書編纂雑感

3月17日(土)明治大学で開かれた辞書に関するワークショップ『中国語辞書-これまでとこれから』に参加した。

4名のパネラーによる発表はいずれも興味深いものであった。とくに前半の2名は具体的な指摘で辞書を編むにあたりすぐに役立ちそうな内容だった。辞書編纂においては大きなフレームや辞書全体に流れる思想なども大事であるのはもちろんだが,辞書編纂にかかわったことのある者としては,どうしても「現場」が思い起こされる。

今回の発表者が辞書を書く時間に恵まれ,動詞と名詞の兼類,動詞と介詞の記述といった各人の関心事だけでもよい,すべての項目に目を通すのでなくともよい,現在ある辞書を見直すことができるなら,きっとより学習者にやさしい辞書ができると思う。そうやって辞書は少しずつ進化していくのだろう。

そうすれば……いくら暇そうに見えるからといって,わたしのような専門外の人に現代中国語辞書編纂の仕事が回ってくるようなことはなくなるはずだ。

辞書の仕事がイヤなわけではない(決して好きではないが)。作りたい辞書の方向性がまったく逆なのである。現代中国語の辞書ではわたしの専門とする近代漢語の語彙は削除の対象でしかない。近代漢語辞典や水滸辞典の電子辞書などできるわけがない。大修館の『中日大辞典』から白話の語彙がなくならないか心配だ。

近代漢語の辞書は望めないにしろ,せめて現代語の辞書がこの先10年出ないなんてことのないよう切に望む。
# by clingmu | 2007-03-20 21:46 | ひとりごと

「酢鉢」のような「拳」?

この休みに金庸の武俠小説《神雕侠侣》第1巻を読んだ。ある格闘シーン,強烈なパンチを繰り出す「拳(こぶし)」の描写に〈提起醋钵般的拳头捶去〉という表現が使われていた。〈醋钵般的拳头〉(「酢鉢」のような拳)って何だろう?

ところが同じような表現が『水滸傳』の中に2例見られる。1例は以前書いた『「水滸のことば」へようこそ』に引用した第29回の〈提起这醋钵儿大小拳头〉で,もう1例は第3回の〈提起那醋钵儿大小拳头〉,29回は武松そして3回は魯智深の「拳」をこう描写している。いずれのパンチもかなり強烈そうだ。

角川の『中国語大辞典』で〈醋钵〉を引くと「陶製の鉢の一種」とあり,用例として第3回の例があがっているのだが,やはりよく分からない。『水滸傳』にはまだ他に用例があるのかもしれないが,まだ出会っていない。李逵のパンチはどうなんだろう? 『水滸傳』以外にも用例があるのだろうか?

金庸がさりげなく使っているので,今でも「拳」の比喩として普通に用いられるのだろうか? いや,きっと金庸の頭の中には『水滸傳』の文章がいっぱいつまっていて,こんな表現がさらりと出てくるのかもしれない。ふとした箇所に『水滸傳』の痕跡を見つけるのも金庸作品を読む楽しみだ。

《神雕侠侣》はあと3巻残っている。この休みにはとても読み終えられそうにない。このまま読み進めるべきか,来年度の授業準備に取りかかるか悩みどころだ。
# by clingmu | 2007-03-16 18:12 | 水滸

卒業式と四十肩

昨日は卒業式があった。ここ数年,謝恩会で感極まる学生の数が増えているような気がする,昔はもっと淡々としていたように思う。いや,わたしが年を取り感受性が鈍っているだけかもしれない。

2月から左肩の痛みが気になり,今日病院で診てもらった。「四十肩とか五十肩とか言われるものです」とのこと。「四十肩」なら資格充分の47才,だが「五十肩」にはちと早い。複雑な思いだ。治療法はとくにないそうで,今後は年齢とうまく付きあう必要がありそうだ。

卒業式が終わると新入生がやってくる。また新しい一年が始まる。
# by clingmu | 2007-03-15 23:08 | ひとりごと

「紙辞書」の運命

小学館『中日辞典第2版』電子化の話は前回のblogに書いた。わたしはこの先10年は本格的な中日辞典「紙辞書」が出版されないのではないかと心配している。

何年も時間をかけて辞書を編纂し出版する仕事は出版社にとってかなりの負担になる。余裕のある出版社でないと許されないことだろう。出版して5年もしないうちに電子化されてしまえば,紙辞書は当然売れなくなる。中国社会の激変と相まって辞書の命はただでさえ短くなっている。

一方で,辞書の「書き手側」の事情もある。いったん辞書の仕事を始めると学期中は授業に,休みは辞書の仕事に忙殺される。少なくともこの状態が5年は続く。大学の教員は研究者としての能力が期待されている。業績として,大量の「紙」(論文)を執筆しなくてはならない。そして辞書は業績にならない。語学教師にとって辞書は大事な仕事だと思うが,大学で必要とされるのは研究者であって語学教師ではない。誰が辞書の仕事に専念しようか?

辞書の編纂は交響曲を完成させるのに似ている。常用語・書面語・口語表現・方言語彙・成語・慣用語といったさまざまな「楽器」を調和させ一つの「楽曲」に仕上げる。ブラームスは交響曲第1番を書き上げるのに20数年を要したという,もっともこれは19世紀のお話,21世紀の今日そんな時間的猶予は望めそうにない。だが,ブラームスの交響曲は100年以上経っても不滅である。

3月17日に日本中国語学会の拡大例会で中国語辞書に関するワークショップが催される。楽しみである。
# by clingmu | 2007-03-10 17:23 | ひとりごと

電子辞書禁止令

小学館『中日辞典第2版』が電子化された。わたしの知る限りカシオの電子辞書と中国語入力ソフトChineseWriterの最新バージョンに搭載されたようだ。これで講談社と小学館の第2版がどちらも電子辞書で引けるようになる。便利である。だが,喜んでばかりいられない。

わたしは来年度より1・2年の演習科目で「電子辞書禁止令」を出すことにした。「軽便で検索に優れた電子辞書の優位性は動かしがたい」らしいが,電子辞書は使う人を選ぶ。電子辞書の『広辞苑』が便利なのは日本語が流暢に操れるからではないか? 中国語の「キャッチボール」を始めたばかりの学生に「人工芝のグラウンド」は不要である。語学の修得過程はスポーツのトレーニングに似たところがある。土のグラウンドでノックを受けて欲しい,いろいろなイレギュラー・バウンドに慣れて欲しい,中国語の「プロ」になったら「人工芝のグランド」で試合をすればよい。

4月の新入生オリエンテーションではっきり説明するつもりである,「中国語の上達を望むのであれば電子辞書を買わないでください。買ってしまった人は当分の間封印してください」と。

それにしても学生たちはどうしてあんなにお金を持っているのだろう? 3~5万もするものを平気で購入する,留学にも行く,留学先にはパソコンを持って行く…でも語学力は身に付かない。3~5万あるなら《新华字典》や《现代汉语词典》を部屋の飾りでもよいから買って欲しいものだ。最近では中国でもよい学習辞典が出版されている。3~5万もあれば何冊買えるだろう? でも学生たちはとたんに貧乏になる,「高すぎます,お金ないです」。そりゃ携帯に月1万も払っていたら金もなくなるだろう…。

とりあえず「禁止令」を出してみよう。だが,わたしの授業だけで禁止しても周囲に「出島」がたくさん出現したら意味がない,逆にわたしの授業が「出島」になってしまう。S先生だけでも「禁止令」に同調してくれるかな?
# by clingmu | 2007-03-08 20:05 | 教学


水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。

by clingmu
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