水滸のことば



カテゴリ:水滸( 8 )


好漢・宋江

先週の土曜日に2回目の読書会があった。前回に引き続き宋江の物語を読んだ。

宋江は言わずと知れた梁山泊の総大将、好漢中の好漢、のはずだ。しかし『水滸伝』に登場する宋江はどうもぱっとしない。たいして好きでもない愛人を若い男に寝取られ、その愛人を殺害し、逃亡するはめとなる。宋江は田舎町の下っ端役人であり、風采も上がらず小太り、たいした武芸もない。ただやたらと金だけは持っていて気前がよい。そしてその名声は江湖にとどろき、好漢たちなら誰でも知っていて尊敬の念を抱いている。やたらと人望が厚い。どうしてこんな男が?と感じることしばしばだ。

「管理者」のもっとも大切な心得は、いかに部下を管理しないかにあると聞く。この点から言えば宋江は管理者としての能力を充分兼ね備えていると言えよう。梁山泊の好漢たちを過度に束縛したりはしない。暴れ者李逵に対してはもっと管理すべきかとも思うが。

管理者の地位にありながら管理者らしく振る舞わない。なかなかできることではない。やはり宋江でなければ梁山泊の好漢たちを束ねることは難しいのかも知れない。
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by clingmu | 2009-06-01 15:47 | 水滸

宋江の物語

今回の読書会で読むのは『水滸伝』第21回、宋江による閻婆惜殺害の話だ。この話は『大宋宣和遺事』にも見え、水滸説話の中でもかなり早い時期に成立したと考えられている。しかし『水滸伝』の文章が宋江説話成立当時の言語をそのまま反映しているとは限らない。この点が厄介なところだ。

『水滸伝』第21~22回の言語には他の回には見られない用法が見られる。『水滸伝』に収められた宋江説話はいつどこで書かれたものなのか?そんなことを考えながら読むのも今回の読書会の楽しみの一つだ。
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by clingmu | 2009-05-17 16:06 | 水滸

研究発表会プログラム

「水滸のことば」研究発表会プログラム

期日:2008年11月1日(土)、2(日)
会場:1412教室

第1日 11月1日(土)
 14:00~  水滸のことば
 14:15~ 『水滸伝』に見られる
        方向補語〈起(来/去)〉の用法について 
( 休 憩 )
 15:00~ 『水滸伝』に見られる
        方向補語〈下(来/去)〉の用法について 
 15:30~ 『水滸伝』に見られる
        可能補語の否定形式について 

第2日 11月2日(日)
 13:00~  水滸のことば              
 13:15~ 『水滸伝』における使役表現について
        -〈教(叫)〉を中心として-
 13:45~ 『水滸伝』に見られる
        〈V过(来/去)〉の用法について
( 休 憩 )
 14:30~ 『水滸伝』における〈把(将)〉の用法について       
 15:00~ 『水滸伝』に見られる
        方向補語〈上(来/去)〉の用法について
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by clingmu | 2008-10-19 15:03 | 水滸

〈起〉の用例から

水滸をじっくり読み丹念に用例を集めると何かしら「発見」がある。つぎの例は〈起(来)〉を調べている学生が見つけたもの。

众人叫起里面亲随,外面当直的军牢,都来看视,声张起来(第31回)

ところは惨劇後の鴛鴦楼、生き残った人たちが現場を見て騒ぎになる。2つの〈起(来)〉が現れ、それぞれ用法が異なる。〈声张起来〉の〈起来〉は「開始」を表す用法と説明できるが、〈众人叫起里面亲随〉の〈起〉はどうか? みな〈众人〉が呼んで〈叫〉、中にいるお付きの人〈里面亲随〉が起きる〈起〉、という構造になっている。〈叫起〉は〈叫醒〉と同義、この〈起〉は「起きる(起こす)」の意味になる。だがすっきりしない。

そこで我が家のネコに聞くと、「〈叫起〉で切る、ってのはどうかニャ~?」との仰せ、句読は、

众人叫起,里面亲随、外面当直的军牢都来看视,声张起来。

となる。〈里面亲随〉と〈外面当直的军牢〉を並列の関係に読むのはなるほどと思ったが、〈叫起〉で切り、〈起〉を「開始」義で解釈するのは少し無理がある、〈叫起一声〉と目的語でもあればよいのだが。そこで折衷案、

众人叫起里面亲随、外面当直的军牢,都来看视,声张起来。

はどうか? 因みに岩波文庫の翻訳には「ひとびと、奥向きのつき人や、おもての当番の兵隊たちをよびおこし、一同で見まわってみて、騒ぎ立てましたが」とある。しかし〈叫起〉の問題はやはり解決されない。

この先、ゼミ生たちがいくつ刺激的な用例を集めてくれるか楽しみだ。
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by clingmu | 2008-04-12 09:45 | 水滸

水滸の特殊な〈把〉

水滸の〈把(将)〉を調べている学生の用例にこんな例があった。

与酒与食,放他穿房入户,把做亲人一般看待〈30回〉
「酒や肴をあたえ、自由に奥向きに出入りさせて、身内同然に扱った」

〈把~〉以下の意味は〈把他看做亲人一般〉ということなのだろうが、変わった表現だ。上掲例はむしろ〈把〉を落として〈做亲人一般看待〉の方が自然だ。ではこの〈把(做)〉は何か?

以前〈把与〉という語を調べた際にもこのような表現を数例見つけた、孤例ではない。〈把〉研究の本筋ではないが、用例を集めたIさんはどう解釈するのだろう?学期が始まったらぜひ聞いてみよう。
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by clingmu | 2008-03-17 22:04 | 水滸

水滸の使役表現

水滸の使役表現に用いる〈叫〉を調べている学生が提出した課題に次のような用例があった。

施恩……取酒食叫武松吃了<30回>
施恩讨两碗酒叫武松吃了<30回>

現代語でもこのような表現は可能なのだろうか?意味の上からは問題なさそうだ。ところが、今年水滸の〈与〉を調べたゼミ生の用例を見ると上掲用例は〈取酒食与武松吃了〉〈讨两碗酒与武松吃了〉と書き換えられそうだ。さらには現代語なら〈与〉を〈给〉に換えた言い方が自然だろう。であれば、現代語において〈他拿出一本书给我看〉と〈他拿出一本书叫我看〉はどちらも成り立つのか?成り立つとしたらどのような違いがあるのか?

現代語の使役表現を研究テーマとして進学を希望する I 君にぜひとも取り組んでほしいテーマだ。
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by clingmu | 2008-03-12 09:28 | 水滸

「酢鉢」のような「拳」?

この休みに金庸の武俠小説《神雕侠侣》第1巻を読んだ。ある格闘シーン,強烈なパンチを繰り出す「拳(こぶし)」の描写に〈提起醋钵般的拳头捶去〉という表現が使われていた。〈醋钵般的拳头〉(「酢鉢」のような拳)って何だろう?

ところが同じような表現が『水滸傳』の中に2例見られる。1例は以前書いた『「水滸のことば」へようこそ』に引用した第29回の〈提起这醋钵儿大小拳头〉で,もう1例は第3回の〈提起那醋钵儿大小拳头〉,29回は武松そして3回は魯智深の「拳」をこう描写している。いずれのパンチもかなり強烈そうだ。

角川の『中国語大辞典』で〈醋钵〉を引くと「陶製の鉢の一種」とあり,用例として第3回の例があがっているのだが,やはりよく分からない。『水滸傳』にはまだ他に用例があるのかもしれないが,まだ出会っていない。李逵のパンチはどうなんだろう? 『水滸傳』以外にも用例があるのだろうか?

金庸がさりげなく使っているので,今でも「拳」の比喩として普通に用いられるのだろうか? いや,きっと金庸の頭の中には『水滸傳』の文章がいっぱいつまっていて,こんな表現がさらりと出てくるのかもしれない。ふとした箇所に『水滸傳』の痕跡を見つけるのも金庸作品を読む楽しみだ。

《神雕侠侣》はあと3巻残っている。この休みにはとても読み終えられそうにない。このまま読み進めるべきか,来年度の授業準備に取りかかるか悩みどころだ。
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by clingmu | 2007-03-16 18:12 | 水滸

水滸との出会い

『水滸傳』を原文で初めて精読したのは大学院での恩師の授業であった。読んだのは,宋江が江州へと護送されて行く前後のお話,テキストは70回活字注釈本(上下册)を使用していたので,下冊の始まり第36回~第40回あたりだったと記憶している。

当時,現代漢語語法に関する知識がもっとあれば,現代語との比較という視点から興味深い語法現象に早く気づいていたのだろうが,学部時代には魯迅の小説や雑文ばかり読んでいた。水滸の精読で逆に現代語の語法について勉強するようになったというのが正直なところ。水滸の言語はたいへん新鮮であったし,日本語で読むよりはるかにおもしろく感じた。

水滸を読み始めて四半世紀が経つ,少しは読めるようになったのだろうか?
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by clingmu | 2007-02-05 18:38 | 水滸


水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。
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