水滸のことば



カテゴリ:ゼミ連絡( 33 )


1学期ゼミ終了

昨日は1学期最後のゼミ、現在卒業研究に取り組んでいる4年生2名の中間発表会がありました。

『水滸傳』に見られる〈与〉の用法を取りあげた発表は来年卒業研究に取り組む3年生にとって参考になったのではないでしょうか。『水滸傳』をじっくり読み、その用例を集めて分析する、これが本ゼミで卒業研究を執筆する際の基本姿勢です。

さて昨日のコンパをもって1学期のゼミも修了、2ヶ月近い夏休みです。この夏休みにじっくり『水滸傳』を精読しろ、などという野暮なことは言いません。ただ、せっかく授業に縛られないこの時期にぜひ〈中文书〉の多読をお勧めします、できれば長編を、そして多読の際は、授業とは逆にできるだけ辞書を引かずに読み進めましょう。きっと読解力がつきます。

それではまた2学期に。
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by clingmu | 2007-07-25 17:05 | ゼミ連絡

ゼミ(7/17)

今回のゼミ終了後、学生からつぎの箇所について質問を受けました。

那叶孔目已知武松是个好汉,亦自有心周全他,已把那文案改得活着。只被这知府受了张都监贿赂嘱托,不肯从轻勘来。武松窃取人财,又不得死罪,因此互相延挨,只要牢里谋他性命。

引用文の句読は100回本(排印本)によるものです。問題の箇所は下線部、手もとにある人民文学出版社の70回本(活字本)では下線部を〈不肯从轻;勘来武松窃取人财,又不得死罪〉と切っていて、どうも「ゆれ」があるようです。因みに100回本を訳した岩波文庫ではこの部分を「軽い判決を承知しません。といって武松は、ただの窃盗ですから…」と、〈勘来〉の後ろで切った読み方を取っています。

70課本のように〈从轻〉で切る場合、〈从轻〉を「軽きに従う」つまり「軽い処分にする」と解釈し、〈勘来〉を「(武松の罪状を)吟味してみると~」として〈武松窃取人财〉以下に続ける解釈になります。

〈不肯从轻勘来,武松不得死罪〉だと〈勘来〉が浮き、一方〈不肯从轻,勘来武松不得死罪〉では〈从轻〉が落ち着かないことになります。

角川の『中国語大辞典』は〈勘来〉を語彙項目として取りあげ、「推測する」とし〈勘来武松窃取人财,又不得死罪〉「武松は人の財物を盗んだが、死罪にはならないだろう」を用例として挙げていますが、語釈の際、直前の〈从轻〉を考慮したのか甚だ疑問です。

結局のところ、高島氏も述べるように「決し難い所」なのでしょう。

たった一つの句読をむぐる問題で30分にも及ぶ議論になってしまいました。これもまた『水滸傳』講読の楽しみです。
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by clingmu | 2007-07-23 15:18 | ゼミ連絡

〈~自〉について

7/4のblogに引いた例〈枉自折武松的草料〉に見られる〈枉自〉の〈自〉は水滸でよく見かける「曲者」です。〈枉自〉の〈自〉は副詞の接尾辞として使われる例で、第30回にはこの他にも〈兀自〉〈已自〉〈也自〉などが出てきます。また水滸では〈自〉が単独で主語と述語の間に置かれる例もよく見られます。

老管营自回安平寨理事〈30-3b-1〉

この〈自〉は前後の文脈によって〈自己〉や〈自然〉といった意味に解釈できそうな場合もあるのですが、水滸では「主体を明らかにする働き」をする〈自〉がさかんに用いられます。

「主体を明らかにする働き」については7/4に配布したプリントを参照してください。これは香坂順一氏の『《水滸》語彙の研究』(光生館1987年)からコピーしたものです。この〈自〉についてはまだまだよく分からない、つまり説明不十分なところもありそうです。卒業研究のテーマとしてこの〈自〉を取り上げてみよう、という勇気のあるゼミ生はいるでしょうか?

なお、香坂順一氏には別に『白話語彙の研究』(光生館1983年)があり、いずれも近代漢語の語彙語法を考察する上でまず参考にすべき著作です。
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by clingmu | 2007-07-08 22:45 | ゼミ連絡

「折草料」(ゼミ7/3)

7/3のゼミで読んだ箇所、張都監の厚遇を受ける武松は嫁まで世話しようという張都監のありがたい申し出に対し

量小人何者之人,怎敢望恩相宅卷为妻,枉自折武松的草料。

と答える場面がありました。この〈枉自折武松的草料〉、実は同じセリフを武松は第29回でも言っています。

小人年幼,如何敢受小管营之礼,枉自折了武松的草料。(29-3b-6)

違いは〈了〉があるかないかだけです。

角川『中国語大辞典』では第29回の例を〈草料〉と〈折草料〉の2箇所に載せています。〈草料〉の項では「②自分の福分をいう.幸運の巡り合わせ」とし、第29回の用例に「(私こと)武松の分に過ぎたことでございます」という訳をつけています。そして〈折草料〉の項では「寿命を縮める」とし、第29回の用例を「むなしく武松の命が短くなるだけです」と訳しています。前者は意訳、後者は逐語訳といったところでしょうか。

さらに〈折草料〉の項には「人は一生にどれだけのものを食べるかは天が決めてあるので、これが尽きると死ぬとの思想から」という詳しい説明があり、最後に「むなしく禄を食む;職位に就くのを辞退するのに用いる」と転義が示していてかなり熱心なのですが、『水滸傳』の2例を見る限り、最後の説明については疑問が残りそうです。

以上、辞書記述に関する問題はゼミ生の指摘によるものです。今後とも丹念に辞書を引き、辞書の「不備」を見つけてください。

さて、張都監邸の武松はどうも堅苦しく、張都監戸の会話にも口語の生き生きとした躍動感がありません。その反動でしょうか、お話はいよいよ「鴛鴦楼の大殺戮」へと向かって進んでいきます。続きはまた次回のゼミで。
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by clingmu | 2007-07-04 17:23 | ゼミ連絡

活字の落とし穴(ゼミ6/26)

26日のゼミでは排印本の「不手際」について話しました。問題の箇所は、張都監が奥の部屋に武松を招いて接待する場面です。

张都监叫抬上果桌饮酒又进了一两套食次说些闲话问了些枪法……

わたしたちが読んでいる容與堂本の排印本では〈食次〉の間に「。」が打ってあります。ところがこの〈食次〉は一語で、《汉语大词典》に〈①就食之时。②食品。多指酒菜、点心之类。〉とあり、第30回のこの箇所が②の用例として、つぎのような句読で載っています。

张都监叫抬上果桌饮酒,又进了一两套食次,说些闲话,问了些枪法。

一方、『水滸全傳』即ち120回本系統の排印本は、〈又进了一两套。食次说些闲话〉となっていて、〈食次〉を《汉语大词典》①の意味で取り「食事中雑談し」と解釈しているようです。

このように中国の人にとっても(しかも水滸の専門家です!)『水滸傳』を正確に読むのは一苦労なんです。ゼミ生の皆さん、多少の読み間違いは気にしなくてもよいのです。なお、〈食次〉の解釈をめぐっては以前紹介した高島俊男氏の『「水滸伝」語彙辞典稿』にも詳しい説明があります。

いずれにせよ現在ゼミでやっているように『水滸傳』はやはり影印本で読む必要があるようです。句読点があるとかえって邪魔で読みにくいとなれば、いよいよ「ホンモノ」、水滸の文章に慣れてきた証拠です。

また、今回のような句読の「ゆれ」は一人で読んでいるとなかなか気づかないものです。少人数による精読の大切さを改めて感じました。
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by clingmu | 2007-06-27 22:17 | ゼミ連絡

〈相~〉について(ゼミ6/19)

ゼミでここまで読んできた『水滸傳』第30回には〈相~〉という語がいくつか見られます。〈相帮〉〈相谢〉〈相看〉などの〈相〉には〈互相〉や〈彼此〉の意味がありません。これらの〈相〉は現代語〈相信〉の〈相〉にその痕跡を留めています。

また6/19に読んだ〈武松自从在张都监宅里,相公见爱……〉の〈见爱〉は「わたし(ここでは武松)を好む」の意味です。現代語では〈见怪〉や〈见笑〉といった語彙にその用法が残っています。

このような〈相〉や〈见〉の「指代作用」については吕叔湘氏に〈相字偏指释例〉〈见字之指代作用〉(いずれも《汉语语法论文集》所収)という論文があります。また、水滸の〈相~〉については香坂順一氏の論文があり、こちらの方はゼミで紹介する予定です。
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by clingmu | 2007-06-24 09:28 | ゼミ連絡

ゼミ6/12

今年のゼミでは現代漢語と近代漢語の違いにできるだけこだわって『水滸傳』を精読しています。そのため話の展開がどうしてもゆっくりになってしまい、面白味には欠けるかもしれません。

6/12に読んだところは、武松が陰謀とは知らず張都監の呼び出しに応ずる場面。細かい事にこだわらない武松を〈武松是个一勇之士,终无计较〉と描写している箇所があります。ところがこの箇所、100回本より後に成立した120回本および70回本では〈武松是个刚直的人,不知委曲〉と字句に異同があります。100回本でも問題はないのでしょうが、後の展開を考え伏線としてこのような表現に変更したのでしょうか。

このように120回本や70回本ではたまに字句が異なることがあります。100回本を読んでいて、どうも読みにくいなぁ、と感じたら、120回本や70回本を調べてみましょう。睨んだ通り書き直しを発見すると、なんだ当時の人も読みにくかったんだ、と妙に安心することがあります。120回や70回の活字本なら図書館にいくらでもあります。第30回だけでもコピーして手もとに置いておくとよいでしょう。

さて武松の運命やいかに? それは次回のお話で。
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by clingmu | 2007-06-17 23:51 | ゼミ連絡

第5回ゼミ

今週のゼミでは前回に引き続き『水滸傳』第30回を精読、武松が蒋門神をやっつけ快活林からの立ち退きを命令する場面を読みました。武松は蒋門神を口汚く罵ります。

“这斯蠢汉……你这个值得什的?”

下線部の“鸟”はdiao(第3声)と読み罵語です。《现代汉语词典》にもdiao(第3声)の読みで〈旧小说中用作骂人的话〉とあります。中国中央电视台制作の《水浒传》中では何故かすべてniao(第3声)と言っています。現代語では用いられないとしても、水滸ファンとしてはやはりdiao(第3声)で読んで欲しかったなぁ。

もう一つの下線部“量”は第2声に読み「文頭にあって話し手の相手に対する軽視もしくは自己についての謙遜を表す語」と高島俊男氏『「水滸伝」語彙辞典稿』にあります。ここでは当然「相手に対する軽視」の意味です。“鸟”についても高島氏の辞書に用例がたくさん載っています。

『「水滸伝」語彙辞典稿』は未完で A ~ Y までしかありません。あと Z だけだっただけにとても残念です。しかも学会誌や紀要等に何回にも分けて掲載されている上、手書き原稿を印刷した部分も多くあります。研究室には大学院時代に A ~ Y まですべてをコピーしまとめたものがあります。その解釈は今でも充分役に立ちますので、時間があるときにでも引いてみてください。

ところで、罵語“鸟”の解釈を「我孫子」在住の学生が担当したのは単なる偶然なのでしょうか?
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by clingmu | 2007-05-17 21:37 | ゼミ連絡

第4回ゼミ

昨日から『水滸傳』第30回の精読が本格的に始まりました。辞書を引き、みなで意味を考え、現代漢語との相違点を確認しながら読み進めます。今のところペースは2頁(一葉)分といったところでしょうか。図書館&研究室の『中国語大辞典』が大活躍かな? 予習をしっかりしてください。

昨夜はゼミ修了後ささやかな「勉強会」があり、夜は3年生のゼミコンパ、「lingmuゼミとは思えないにぎやかさ」とはいつもお世話になっている居酒屋の奥さんの感想でした。

わたしもおかげで楽しいひとときを過ごしました。ただ、学生たちの話す言語とわたしの言葉には現代漢語と近代漢語ほどの開きがあるのでは? とふと感じました。
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by clingmu | 2007-05-09 20:40 | ゼミ連絡

第2回ゼミ

昨日のゼミではわたしたちがこれから研究の対象とする「近代漢語」について解説した文章を読みました。近代漢語に対する漠然としたイメージがつかめたでしょうか?

近代漢語は唐五代以降の口語を基礎にした「白話」のことです。「現代漢語は近代漢語内部の一時期に過ぎない」という吕叔湘の大胆な指摘はなかなか説得力があります。

文章中に出てきた「敦煌文献」」については時間の関係もあり、詳しく説明できませんでしたが、ネットでキーワード「敦煌文献」と入力し「ググって」みてください。Wikiなどにも詳しい説明があるようです。悠久なる中国語の歴史を少し垣間見ることができると思います。

来週は残りの部分を片付けて、いよいよ『水滸傳』第30回に入っていこうと思います。慣れない影印本は読みにくいと思いますが、排印本(活字本)を参考に、大修館の『中日大辞典』を引き翻訳本を見ながら意味を取ってみてください。

ではまた来週のゼミで。
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by clingmu | 2007-04-25 16:16 | ゼミ連絡


水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。
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