水滸のことば



CEFRのお勉強

日曜日、明海大学で開かれた応用言語学のセミナーに参加した。CEFRはCommon European Framework of Referenceの略称で、直訳すれば「ヨーロッパ共通参照枠組」、この枠組は外国語習得の汎言語的コミュニケーション能力をA1~C2の6段階に規定したもので、C2の難度がもっとも高い。考え方の大枠としてはたいへん興味深い。このグローバル・スタンダードは現在外国語教育界を席巻中であり、やがて中国語のCEFRも議論になるだろう。

AO(入試)、(現代)GPそして今度はCERF、このところアルファベット語に悩まされている。もちろん私だってアルファベット語は使っている、CDは毎月のように購入している、S&Gは70年代からのお気に入りだ…あっ、これでは「KY」だ。

まもなく中国語の世界にも来襲するであろうCEFRにどう対応するか? コミュニケーションという概念はあまりに「汎言語的」だ。「応用言語学」の研究対象としてはよいかも知れないが、私にはそのような領域をカバーする能力も時間もない。

極端な例。私が助手として今の大学に来た当初、主な仕事は来日したばかりの中国人教師のお世話係だった。ある時この先生を実家に招待した。母と同世代の先生は通訳なしでわずかな日本語の単語を頼りに母と十分コミュニケーションをとっていた、二人の間には「共通言語」が存在していたように思う。この先生のコミュニケーション能力はCEFRの高いレベルにあった。

こんな場合はどうか? 最近学生と日本語(母語)による意思の疎通がままならないことがある、それも少数ではない。長時間接しているとその学生がけっして悪い人間ではないことは分かるが、授業中の対応は明らかにコミュニケーション力不足だ。

一方、自分の自慢話ばかりする教師はどうか? いくら言語による表現が豊かでも相手と会話にならない。かく言う私にも問題がある。視力が低下してから人とのコミュニケーション能力が著しく低下した。周囲の状況が判断できない、相手の表情が読めない、人とコミュニケーションをとるのに多くの情報を視覚から得ていたことに改めて気づかされる。言語能力はそんなに変わってないはずだ。

コミュニケーションの概念にはこういった多くの要素が含まれる。語学を教えていながら一見矛盾するようだが、私はできるだけこういった諸要素を排除したい。来年は「朗読」と「音読」を中心に中国語の授業を進めようと思う。学生を型にはめる「没コミュニケーション」的な授業が理想だ。私にできることは中国語によるコミュニケーションを成立させる前段階のトレーニングだと考えている。

セミナーへの参加はとても有意義であった。が、それにしてもセミナーの司会者や科研リーダーの先生、あなたたちのコミュニケーション能力にはかなり問題がある、CEFRならAレベルだ。自分たちの研究を自身のパフォーマンスで無力化しないことを切に願う。
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by clingmu | 2007-12-18 21:23 | ひとりごと
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水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。
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