水滸のことば



上海雑感4

<中国で中国語を学ぶ>
結論から言えば、残念ながら中国で中国語を学ぶのはかなり難しい。中国語の入門段階は絶対に日本でしっかり学ぶべきだ。語学的な意味で留学が機能するのは中級の上以上(現行HSK6級以上)の力を持った人たちであることを今回再確認できた。

<日常の中国語>
すべては状況(場)に頼った会話となる。要は慣れである。中国語を知らなくても現地で1ヶ月生活すればどうにかなる。今回強く感じたのは生活から会話の機会が少なくなっていることだ。携帯・電車の切符・書店・換金等々いろんなものが「便利に」自動化され会話の機会は奪われた。多少なりとも会話が必要とされる食堂などでは実詞を並べ、あとはそれをいかに大声で叫ぶかがポイントになる。いや、並べられているものを手で指してもよい。

留学生が食堂で食事をする、“包子”を2つ注文する。“我要两个包子。”問題はない。だがその場で事をスムーズに運ぶには“包子,两个”で充分だ、“麻烦你,帮我~。”などと言えばかえって厄介になる。このようなことが至るところで起こる。語学の教師としては頭が痛い。状況や相手によって表現を使い分ければよいのだが、来たばかりの留学生にそれを求めるのは酷だ、最初から食堂の服務員を見下すような態度は取れない。それなら留学前の段階ですぐに使える短い表現“三字经”を教えればいいのか? 意味がない。短ければ短いほどその文は状況に依存する。状況の中で覚えないと時にとんでもない誤解を生む。現地に行けばすぐに覚える。留学して1ヶ月もすると日常の生活がスムーズに動き出す。自然とその場に適した表現ができるようになる。語学力が向上したように思う。自分もかつてそのような錯覚をした。しかしそれは慣れただけなのだ。内容のある複雑な表現をしているわけではない。中国の日常生活では言葉数が少ないように感じた、冗長な表現を避けるのが中国語の本質と言ってしまえばそれまでだが、それにしても彼らはあまりに“节能”だ。書店で本を買った、5册以上の本を店員は紙のひもで束ねるだけ、「袋はありませんか?」と聞くと“门口”の一言、瞬時に書店内で袋に入れると他の本も袋に入れ「ネコババ」する恐れがあるから店を出るときに袋を渡す、というシステムを理解しなくてはならない。「袋は?」と尋ねた人はそのシステムを知らない人だ、その状況を彼らは判断しようとしない。すべてがこうだ。

日本のパン屋さんで買い物をした、レジでお金を支払う際、606円の代金に対して1,001円を渡した。「395円のおつりです。今しばらくお待ちください。」パンの包装が終わる。「すみません、お待たせしました。ありがとうございます。」とにかく言葉が多い。実詞の羅列ではない。私が日本語を学ぶ留学生だったらとてもよい勉強になるだろうな、と思った。中国の「ローソン」で買い物をした、烏龍茶のペットボトル1本を買った、言葉は“两块七。”のみ。全体的に言えるのは、中国の街の服務員は言葉が絶望的に少ない、自分が必要とする情報しか聞こうとしない、さらに自分の仕事に対するプロ意識がないのだから、対応は推して知るべしだ。これは20年前と変化がない。「顔馴染み」になり彼らの「内側」の人になれば状況は好転するが、昔ほど留学生は珍しい存在ではない、価値は減った。このように中国語を話すそして聞く環境は整っていない。

ところが、今回の滞在で一度だけ中国語を使っていて幸せな気分になったことがある。それは浦東の豪華ホテルにチェックインしたときだ。予約していたはずがちょっとした手違いで私の名前がない。そこからやりとりは始まる。「××を通して予約したんですが、電話お借りできますか?」「どうぞ、電話番号は? その方は中国語ができますか?」「はい」「電話がつながりません」「部屋は空いてますか?」「あります。当ホテルには2つタワーがありまして……(延々と部屋の説明が続く、相手の希望を聞く)」部屋が決まる。「当ホテルには無料の会員カードがありまして……」「どんな用途があるんですか?」「続けてご説明してもよろしいでしょうか?……」とにかく言葉が多い、自然なスピードで淀みなく話す、話しが論理的なのでいくら速く話しても内容がよく理解できる。相手の意図をよく理解し、豊富な語彙で別の表現も可能だ。これなら中国語のよい勉強になる。留学生が聞けばきっとこんな中国語を話したいと思うだろう、だが残念ながら留学生がちょくちょく泊まれるような値段ではない。服務員の“素质”の違いと言ってしまえばそれまでだが、やはり中国ではそれなりの代価を払って環境を手に入れる必要がありそうだ。チェックアウト時も同じ女性が対応してくれた。“你们过得还可以吗?”の問いかけにはびっくりした、一瞬何を言っているのか分からなかった。

<授業の中国語>
では授業はどうか? 目の前に日常生活がある、入門でピンインの仕組みや発音を丁寧に教えている暇はなさそうだ、教師側もそんなトレーニングは受けていない、発音に1ヶ月費やすことはあり得ない。また日本人の特徴を理解した上で教えることのできる教師はまずいない。初級段階はどうか? 最近では対外漢語教学の実践を積んだ教師も増えてきているようで、初級の学生が話す中国語を辛抱強く聞く、相手の理解度に合わせて言葉を選び根気強く説明してくれるようだ。しかし日本人が疑問に思う文法事項などを初級の学生に対して中国語で行うのはかなり難しいのではないか? 結果として留学生は徐々に授業をサボるようになる。私が受けた個人レッスンは教材を使用しなかったので参考にならないが、妻の受けた授業では母語話者ならではの会話練習や作文の添削などかなり充実したものだったらしい。しかしこれはあくまで個人レッスン、多人数の授業となるとまた事情は異なるだろう。留学が中級以降でないと効果がないというのは、文法的な疑問点は自分で調べることができ、文法の説明を現地の教師に期待せず、母語話者である教師をうまくこちらがコントロールして豊富な表現を引き出し、それを自分のものとする、といった学生側の能力次第になるからだ。

初級段階(我が大学2年生程度)の留学は、中国で生活をする、若い時代に外国で異文化の体験をする、ということに割り切って考えるべきだと思った。それには夏休みの1ヶ月あれば充分だ。
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by clingmu | 2007-09-06 21:15 | ひとりごと
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水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。
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