水滸のことば



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2種類の文章を紹介したい。
まずは金庸の《射雕英雄传》(广州出版社2002年)より,第7回〈比武招亲〉から。

那公子……拧过身躯,左掌往外穿出“毒蛇寻穴手”往他小腹击去。穆易向右避过,右掌疾向对方肩井穴斩下。那公子左肩微沉,避开敌指,不待左掌撤回,右掌已从自己左臂下穿出,“偷云换日”,上面左臂遮住了对方眼光,臂下这掌出敌不意,险狠之极。
(貴公子は…体をひねり,左手を突き出し「毒蛇尋穴手」という技で彼の下腹部を突いた。穆易は右に避け,右手をすばやく相手の肩のツボを目がけて切るようにふりおろした。貴公子の肩がわずかに沈んだ。貴公子は敵の指を避け,左手が戻る前にすでに右手を自分の左手の下から突き出していた。「偸雲換日」という技で,上の左手は相手の視線を遮り,下の手は敵の不意をうち,危険きわまりない。)

武俠小説らしい格闘シーンだ。この前後の一段を今年度は2年生の講読で使った。2年生にはやや難しい,格闘シーンの描写などは現実に起こりえない動作であるから,「常識」で読めない。しかも現代中国語の規範的な文章とも言い難い。学生は苦労する。そこで「この小説には翻訳があるよ」と徳間文庫の翻訳を紹介する。ところが……この翻訳本が原作に忠実ではない。上掲箇所は翻訳が基づく三联版にも,字句および筋の展開に異同こそあれ格闘シーンは存在する。ましてやこのシーン,穆易と楊康の手合わせで窮地に追い込まれた楊康が思わず「奥の手」を出す,という重要な場面。訳者は,日本語にすると冗長で面白味に欠けると判断したか。となるとこの箇所を原文で味わえる学生はなんと幸せなことか。学生たちは途中から訳本を頼らず,辞書を片手に意味を取ろうとする。ちなみに上掲日本語訳はある2年生が訳したもの。なかなかの訳である。

読解の面白味を知った学生の中にはlingmuのゼミ「近代漢語語法研究」を選択する者がたまにいる。ゼミではつぎのような文章と悪戦苦闘することになる。

武松先把两个拳头去蒋门神脸上虚影一影,忽地转身便走。蒋门神大怒,抢将来。被武松飞一脚踢起,踢中蒋门神小腹上。双手按了,便蹲下去。武松一踅,踅将过来,那只右脚早踢起,直飞在蒋门神额角上,踢着正中,望后便倒。武松追入一步,踏住胸脯,提起这醋钵儿大小拳头,望蒋门神脸上便打。〈『水滸傳』第29回〉
(武松まず両方の拳で,蒋門神の顔めがけ,わざとひらめかすや,ふいに向きをかえて逃げ出せば,蒋門神は大いに怒り,踏みこんで来るところを,武松がぱっと蹴上げた早技に,蒋門神は下腹に蹴あてられ,両手でそこをおさえると,そのまましゃがみこんでしまいました。武松,さっと近づくと見るや,早くも蹴上げた右足は,まっすぐ蒋門神の額に飛び,まん中に命中,仰向けにどっと倒れるのを,武松さらにひと足ふみこんで,胸倉をふんづけ,酢鉢ほどの大きさの拳骨をふりあげて,蒋門神の顔めがけなぐりつけます。)
※訳は『完訳水滸伝(三)』(岩波文庫)吉川孝次郎・清水茂訳,岩波書店1998年より。

いかがだろうか。金庸の文章と同じでしょ? 「近代漢語」といってもおびえる必要はない,「漢文」ではない。ゼミではさらに現代語との違いを語彙・語法面から検討することになるわけだ。

ついでながら,武松が使った技は「玉环步,鸳鸯脚」というらしい,金庸の技は進化していてより高度である(と思う)。

ここ数年このような「手口」でゼミに学生を「おさそい」している。
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by clingmu | 2007-02-03 18:49 | ごあいさつ
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水滸伝の言語に興味を抱く、ある語学教師のぼやき。ときどきゼミ連絡。
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